初心者コースに友人を置き去りにしつつ、ゴンドラで山頂へと移動した「滑れるグループ」。
前回訪れた正月のコンディションとは打って変わって、
気温、雪質ともにベストと言えそうな状態で、さらにゲレンデは平日なのでほぼ貸切状態!
「うひゃーっ!!気持ちいいぃぃーっ!!」
安比のゲレンデの端のコースから順番に攻めていきます。
普段より遅い時間にもかかわらず、どのコースも全く荒れることのないフラットなバーン。
こんな素晴らしいゲレンデコンデイションだと、止まることすら忘れてしまいます。
(写真を撮ることさえ忘れる始末。)
今シーズンから解放された「ツリーランエリア」にもチャレンジ。
非圧雪な上にかなりの勾配、えぐれた雪面。
さすがにここは新雪がしっかり積もった朝イチじゃないとかなりキツイです。
初心者をいつまでも置き去りにしたままにするのは気が引けるので、
ロングコースを数本楽しんだところで再び合流です。
するとそこには目を疑うような光景が…!
昨年は立っては転び、滑れば転び、また立っては転ぶという、
産まれたてのバンビのようにプルプルとゲレンデで玉砕していた友人が、
遠くから滑ってくるではありませんか!
しかも手を振る余裕まで見せています。
まだボーゲンではありますが、どうやらコツは掴んだようです。
この後、食事を取りながら、「スキーって買ったらいくらするんですか?」と、
午前中のデジャヴは再現されなかった安堵感から少し調子に乗った発言が飛び出すほどです。
しかし楽しんでスキー欲が出てきたのはいいことです。
スキーを楽しんだ後は、秘密基地の屋根から落ちて地面とつながった雪の撤去作業です。
数日降り続きそのまま屋根に積もり続けたドカ雪が、
スキーを楽しんでいる間にすべて滑り落ちて、氷河のように屋根に寄りかかっています。
男三人で1時間ほどかけてなんとか繋がっていた雪を撤去することができました。
その後は近くの温泉で体を温め、晩御飯にはイタリアンを作ってきれいに平らげ、
雪かきで撤去した雪で作ったかまくらに、ろうそくの照明を設置して、
その中で日本酒を飲んだり、
定番のモノポリーをしたりと、時間を忘れてのんびりした時間をたっぷり楽しみました。
最終日は朝から滑るはずが、あいにくの雨。
昨年から真冬だっていうのに必ず安比に来ると雨に見舞われている気がします。
滑りは諦め、みんなで掃除などで帰り支度をし、
盛岡へと戻り、余った時間で市内の温泉施設で体をほぐし、
新幹線で東京へと戻ったのでありました。
のんびりしたようで、あっという間の2泊3日の旅。
けど遊びの密度はかなり濃かったぞ!
大満足!
2017年2月22日水曜日
2017年2月20日月曜日
2泊3日・安比の旅(前編)
昨シーズンとほぼ同じメンバーで2泊3日の日程で安比高原スキー場へと行ってきました。
しかも週末を全く絡めない平日オンリーの反社会的な旅です。(笑)
まずは盛岡駅でレンタカーをしたわけですが、今回の旅のお供はこの派手なラッピングカー!
広告を兼ねるということで1日目の料金が半額というお得なプラン。
街中では若干の視線を感じますが、10分も乗っていれば派手だったことすら忘れてしまいます。
到着してみると、案の定秘密基地の入り口は、ここ1週間ほどのドカ雪で完全に埋まっています。
雪かき未経験の友人にスコップを渡し、玄関前の雪を掻き、階段を作ってもらいました。
その間おいらは室内で電気や水道を通したり、薪ストーブに火を着けたりと、
皆が室内に入れるよう準備を進めていました。
この日の晩は、わざわざ持参してきた鍋とスパイスで火鍋を堪能。
なかなか暖まらない室内でしたが、火鍋の辛さのおかげで体も中からポカポカです。
その後、さらにお風呂で温まり、お酒もほどほどに抑えながら明日のスキーの備えて早めの就寝。
2日目の朝、目指すはもちろんゲレンデです。
積雪が足りずにあまり滑りを楽しめなかった正月とは打って変わって、
現在の積雪は2m越え!
こんな状況を知っていたので、滑りたくてウズウズしていました。
しかし、昨年スキー未経験にもかかわらず、無謀にもゴンドラで山頂まで上がり、
死ぬ思いで下山した友人の顔は浮いていません。(笑)
スキーブーツを履いている間から「悪いデジャヴしか見えません…」と
三浪が決定した大学生のような表情でボソボソと呟いています。
ということで、昨年を教訓に今回は初心者エリアからスタートさせることにしました。
軽いレクチャーが終わったところで、滑れるグループはゴンドラで山頂へ!
《2泊3日・安比の旅(後編)へと続く!》
しかも週末を全く絡めない平日オンリーの反社会的な旅です。(笑)
まずは盛岡駅でレンタカーをしたわけですが、今回の旅のお供はこの派手なラッピングカー!
広告を兼ねるということで1日目の料金が半額というお得なプラン。
街中では若干の視線を感じますが、10分も乗っていれば派手だったことすら忘れてしまいます。
到着してみると、案の定秘密基地の入り口は、ここ1週間ほどのドカ雪で完全に埋まっています。
雪かき未経験の友人にスコップを渡し、玄関前の雪を掻き、階段を作ってもらいました。
その間おいらは室内で電気や水道を通したり、薪ストーブに火を着けたりと、
皆が室内に入れるよう準備を進めていました。
この日の晩は、わざわざ持参してきた鍋とスパイスで火鍋を堪能。
なかなか暖まらない室内でしたが、火鍋の辛さのおかげで体も中からポカポカです。
その後、さらにお風呂で温まり、お酒もほどほどに抑えながら明日のスキーの備えて早めの就寝。
2日目の朝、目指すはもちろんゲレンデです。
積雪が足りずにあまり滑りを楽しめなかった正月とは打って変わって、
現在の積雪は2m越え!
こんな状況を知っていたので、滑りたくてウズウズしていました。
しかし、昨年スキー未経験にもかかわらず、無謀にもゴンドラで山頂まで上がり、
死ぬ思いで下山した友人の顔は浮いていません。(笑)
スキーブーツを履いている間から「悪いデジャヴしか見えません…」と
三浪が決定した大学生のような表情でボソボソと呟いています。
ということで、昨年を教訓に今回は初心者エリアからスタートさせることにしました。
軽いレクチャーが終わったところで、滑れるグループはゴンドラで山頂へ!
《2泊3日・安比の旅(後編)へと続く!》
2017年2月2日木曜日
代々木公園は歴史の宝箱やー(後編)
色々と発見のある代々木公園ですが、
元々は代々木練兵場だったりと、どうしても戦争がらみの歴史は避けては通れません。
「「十四烈士の碑」という文字だけで重そうな空気が漂ってくる標石を発見しました。
とりあえずそちらへ向かってみます。
ここは「昭憲皇太后大喪儀葬場殿跡碑」よりもさらに森と同化しており、
一瞬どこにあるのか見つけられないほどです。
石碑には「十四烈士 自刄の處」とあります。
調べてみると「十四烈士が所属していた大東塾とは、
塾長・影山正治なる人物が中心となって結成された右翼団体で、敗戦の責任として、
影山正治の父親である影山庄平と若い塾生13名が割腹自殺を遂げた場所」らしい。
なんだかかなり込み入った話ですねぇ…。
しかも説明には「建碑に当たっては、
米軍進駐前に採取した血染めの砂が碑の下に収められている。」と書いてあります。
徳川好敏陸軍大尉はアンリ・フォルマン式複葉機を操縦して4分間、
距離3,000m、高度70mの飛行に成功した。
継いで日野熊蔵陸軍大尉も、グラーデ式単葉機により1分間、
距離1,000m、高度45mの飛行に成功した。
これが日本航空史上、最初の飛行である。」(碑文より)
1910年12月19日に日本で最初に有人飛行機の飛行が行われたのを記念して、12月19日が日本初飛行の日となってはいますが、、実は本当の初飛行は12月14日らしいです。試験飛行の際に、書「滑走したいきおいで誤って離陸してしまった」といった趣旨のことが報告されているという、なんだか面白い情報もあるようです。
ブラタモリの影響なのか、最近身近な歴史を探すのが楽しみになり、
前編・後編と2回に渡って代々木公園内に点在する史跡を紹介してみました。
元々は代々木練兵場だったりと、どうしても戦争がらみの歴史は避けては通れません。
「「十四烈士の碑」という文字だけで重そうな空気が漂ってくる標石を発見しました。
とりあえずそちらへ向かってみます。
ここは「昭憲皇太后大喪儀葬場殿跡碑」よりもさらに森と同化しており、
一瞬どこにあるのか見つけられないほどです。
石碑には「十四烈士 自刄の處」とあります。
調べてみると「十四烈士が所属していた大東塾とは、
塾長・影山正治なる人物が中心となって結成された右翼団体で、敗戦の責任として、
影山正治の父親である影山庄平と若い塾生13名が割腹自殺を遂げた場所」らしい。
なんだかかなり込み入った話ですねぇ…。
しかも説明には「建碑に当たっては、
米軍進駐前に採取した血染めの砂が碑の下に収められている。」と書いてあります。
うーむ、なんだか触れてはいけないものに触れたような、後味の悪い感じがしてしまいます。
さ、気を取り直して次へ!
個人的にはこれが一番の大発見!
「日本初飛行の地」!!!
まさか代々木公園が、日本で最初の飛行機が飛んだ場所だったとは!
その下の刻まれた「日本高級発始之地」という文字!
なんでこんな目立たな場所にあるんだ!っていうくらい
代々木公園の片隅にあるのがあまりにも意外です。
世界で初めて飛行したのはライト兄弟だと誰もが知る事実ですが、
初めて飛行した日本人は?と聞かれても全く思い浮かびません。
「1910年(明治43年)12月19日, 当時代々木練兵場であったこの地において、徳川好敏陸軍大尉はアンリ・フォルマン式複葉機を操縦して4分間、
距離3,000m、高度70mの飛行に成功した。
継いで日野熊蔵陸軍大尉も、グラーデ式単葉機により1分間、
距離1,000m、高度45mの飛行に成功した。
これが日本航空史上、最初の飛行である。」(碑文より)
こちらが、その徳川好敏の銅像です。
ゴーグル装着など、当時の装備が再現されているのでしょう。
こちらは日野熊蔵の銅像です。
ブラタモリの影響なのか、最近身近な歴史を探すのが楽しみになり、
前編・後編と2回に渡って代々木公園内に点在する史跡を紹介してみました。
自分の生活圏内の歴史を知ることで、さらにその土地に愛着が湧くような気がします。
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