2017年1月29日日曜日

代々木公園は歴史の宝箱やー(前編)

普段ウォーキングで訪れる代々木公園ですが園内の看板に目をやると、
今更ですが思いの外、様々な史跡が点在していることに気がつきました。

まずはオリンピック関連。
1964年に開催された東京オリンピックの際、
実はここ代々木公園が選手村だった事実はあまり知られていないような気がします。
そしてその選手村の建物が今も公園内に現存しています。

代々木公園・選手宿舎

それがこちらの建物。
原宿側の入り口から入り、すぐ右側の奥にあります。
元々は戦後、連合国により没収された陸軍練兵場に、
米軍将校家族宿舎として建設されたワシントンハイツという建物なんだそうです。
それをそのまま転用して、選手の宿舎に充てたようです。
アメリカンスタイルに見えたのは、上記の理由からだったのですね。

代々木公園・選手宿舎

看板によれば、オランダ選手が利用した宿舎のなのだそうで、
シンプルながらも可愛らしい建物で、今見ても非常に魅力的です。


選手宿舎からほんの少し離れた場所に、「昭憲皇太后大喪儀葬場殿跡碑」と書かれた標石が。
矢印の方に向かってみると、公園の木紛れるようにひっそりと碑が建っています。

代々木公園・標石

解説を読むと「1914年に昭憲皇太后(明治天皇の皇后)が崩御され、
殿の儀(お葬式)が行われた際、入り口から斎場殿まで約180mの通路、
その左右には参列者らが待機する長さ約145m、幅27mの屋根付きの霧妻風建物が建てられた。」とあります。

代々木公園・昭憲皇太后大喪儀葬場殿跡碑

さすが皇太后、スケールが違います。
かなり巨大な木造建築がこのエリアにあったと思うと胸熱です。
ちなみにこの昭憲皇太后は皇族・一般人含めた女子教育制度を始めたり、
日本赤十字社の設立したりと、公共の福祉に力を注ぐなどの功績がある方だそうです。

他にも色々見つけましたが、続きは「代々木公園は歴史の宝箱やー(後編)」に続く。

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